脳出血による障害の手記 
「もういちど 歩き出そう」

第1話 脳出血で倒れて

2001年7月17日の朝7時45分ごろ仕事に出かけようと着替えをするために、寝室の方にいきベッドに腰掛け着ていたTシャツを脱ごうと立ち上がった瞬間、痛みは全くなかったのですがあとから思えば右半身の感覚が全くなくなりくずれるように倒れこんでしまいました。
その時思わず「ああ〜どうしょうもうダメだ」と声にだして叫んでしまいました。
しかし、1人暮らしの私はなんとか這って電話機のところまで行き実家に電話をしすぐに母親に来てくれるようにお願いしました。
次は、マンションの玄関のカギをはずさなければなりません。這って玄関にいきカギをはずすと同時に玄関のところで動けなくなってしまいました。
あとから他の人の状況を聞くと、やはり1人暮らしで意識を失ってしまったため誰も呼ぶことができず2日後に家族の人が発見し病院に運ばれ急死に一生を得たとのことでした。
自分は、サラリーマン生活を止め自営をはじめて4年だったため1週間位連絡がなくても誰も不思議にはおもわない生活をしていました。
あのとき、意識だけはあったからこうして今いれるのかもしれないとおもうとゾーッとします。
車で5分位しか離れていなかったため程なくビックリしてかけつけた母親が救急車を呼んでくれました。そして母親の指示で月寒の柏葉脳神経外科に運ばれました。
意識は、病院につくまでありましたが色々な検査をし処置を施され点滴をしているうちに眠ってしまい気がついたときはまわりをカーテンで囲まれてベッドにいました。
何度も何度も「お名前は?生年月日をいってください。ここはどこかわかりますか?」というように名前や年、いまいるところを聞かれます。
どうしてこんなにしつこく同じことを聞くのか脳神経外科に初めて来た私にはわかりませんでした。
でも、柏葉脳神経外科病院という言葉がすぐに覚えることができませんでした「混乱期」にいたのでしょう。
しばらく後で、同じように運ばれた患者さんが同じように看護婦さんに聞かれて名前や生年月日はいえるのですが、他はトンチンカンな答えをしているのを聞いて納得しました。
幸いなことに私は手術は必要なかったようで2階の病棟に入院することになりましたが2階は救急病棟でしばらくは絶対安静でベットのうえで起き上がるのも禁止されてしまいました。
トイレももちろんダメ。寝ながらの排泄はどうしてもできず、導尿管のお世話になりましたがもうハズカシイとか痛いとかどころでなくなっていました。
それから約1ヶ月半位2階の病棟でお世話になることになるが(その後は4階のリハビリー病棟に)色々なことがあった。
次回から少しずつおもいだしながら暫く救急病棟での出来事を書いてみようと思っています。

(2002年2月9日)
グリアTOP

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